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今年最高の旅行

6月16日の土曜日の朝、会社に集合した時には雨は降っていなかった。

9時15分に御船インターに到着。

やった、15分も短縮したぞ。分きざみで予定立ててんだ。

それから高速道路を走って10分も経たない内に渋滞が起きていた。
それに雨も降り出した。なんか悪い予感がする。

心配ないよ、先長いからゆっくりでいいよの声と裏腹に事態は深刻に。
人が道路に降りている。15分経ち、30分経ち何も変わらない。
1時間経過。あれー。綾・酒泉の杜のピザとワインが遠のいていく。


ついに2時間経過。あらら。夢見ヶ丘の昼食と高千穂牧場がやばくなってきた。

突然、左に止まっていたおっさんが、さらに左の緊急用の脇道に切り返し、
逆走したのだ。えっ。なんか知らんけどその車の後ろの車が前に詰めると
僕の出口がなくなると思った瞬間、ハンドルを左にきってもうた。
えーい。いってまえ。得意の言葉だ。

うしろに長ーーい列ができていた。みんながあっけにとられて僕を見る。
知るかボケ!得意の言葉だ。みんなビールで膀胱パンパンの筈だ。

列が切れたところに交通警察官がいた。逆走していいですかと聞くとOKとの事。
うしろを見ると誰もついて来ない。前からも来ない。たぶん熊本ICあたりで
強制的に降ろしているんだろう。
宮原のサービスエリアに到着。一方通行を無視して進入。トイレにたどり着いた。


松橋付近のがけ崩れで、人吉からしか乗れないよ、との売店のおねえさんの話。
再び、御船インター迄逆走。バーが上がらない。係員が走って来る。

ここから、乗ったんでしょ。


哀れ。分単位で予定してたのに、霧島ホテルの大浴場が消えうせた。

三号線も渋滞していた。阿久根、川内と回ったら旅館にいつ着けるのやら。
昼ごはん抜いてもいいかな?いいよいいよ、つまみがあるから。

出水市に入り、山を見る。ぼんやりと暗くかすんでいる。かなりの雨量だ。
数年前、途中のさつま町は屋根まで水に浸かったところだ。
でも、山越えしなきゃ、間に合わない。


やばい状況の中、どうにか、旅館に着いたのだ。

霧島の数ある旅館の中で、露天風呂の景観で選んだ一押しの、皆に見せたい旅館。
フロントで、いやあ、大変でしたねと慰められる。うちもですね、

この大雨で川が氾濫状態で、露天風呂も川砂利で埋まっちゃいましたよ。

えっ。



意地でもせっかく作った予定を消化するぞ!

翌日は坂本竜馬の新婚旅行の地へ。でも雨はすごいし傘は無い。
バレルバレーから仙巌園切子工場へ、そしてドルフィンポートへ。
びっくりです。ここには十数回来てるのに初めてです。


桜島が見えない。


この後の予定は、桜島に渡って湯平展望所に登って、古里温泉に浸かって、
道の駅たるみずで足湯にひたって、裏桜島を眺めて、福山の黒酢を買って、
・・・・・誰かが言いました。高速道路が走れるか解んないからさ、

もう、帰ろうか。



この旅行で少し楽しかった事・・・逆走した事です。

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来年やるべきこと

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たしか去年の年賀状には、ちゃんとするぞと書いたと思う。

今年はちゃんと絵を描く、ちゃんと山に登る、ちゃんと釣りに行く、ちゃんと英会話のお勉強する、
ちゃんと野菜をつくる、ちゃんと鞄を作る、ちゃんと陶芸を始める、ちゃんと友達と遊ぶ、
ちゃんとちゃんとする。って。

で、結局何したっけ。


来年は的をしぼって、・・・ウクレレだけは毎日触ればどうにかなるだろう。
レザーは色や形にこだわらず、楽しんで作ろ、きっと自然に僕が現れて来ると思う。

英会話はやっぱり必要だろ。頭悪いから繰り返し覚えるしかないしね。
テルマエ・ロマエじゃ一晩の徹夜でラテン語マスターしてたよね。

釣りはやっぱり1年に何回かは行かなきゃ船頭がさみしがるだろうし、
たまには山をひとり、しんしんと登って、緑の木々に覆われたいし、

あかん、来年もやっぱり今年とおんなじやん。



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松井が引退するようです。

敵ながらあっぱれでした。

一生懸命頑張ってきたから。
拍手を送ります。

やっぱり、阪神じゃなく巨人に入ったから良かったのかな。
でも、まだ38歳だよね。これから未知の世界が待ち構えているよね。

さて僕も頑張るか。



音楽との出合い

いつの頃から音楽に興味をもったかというと、音楽というより、きっと歌詞なんだろうけど、
田舎の製材所のお兄ちゃんが東大に合格してみんなで集会所でお別れ会をやったんだけど、
そのとき、誰かが、フォーククルセイダースの「何のために」をギターで歌ったんだ。
風にふるえるオリーブの花っていう反戦歌。

何のために

それから高校入試の受験勉強の時、なにげなく点けたラジオから深夜放送が流れ、
こんな時間にまだやってんだの15の夜でした。ラジオを聴くためだけの徹夜が続いた。
ばあちゃんが朝まで勉強してるねと誉めてくれる。母も喜ぶ。

高校入学の日、中庭で先輩達のフォーク集会に耳を傾け、岡林信康を知ることになりました。

岡林信康

次第次第にプロテストソングに染まり、高まる学生運動にまわりもそわそわしはじめる。
級友も、先輩達の卒業式に校長第一声と同時に椅子の下に隠していたヘルメットとタオルを
取出し、大声でナーンセンスと叫び卒業式をぶっ壊したおかげか、一週間後学校に
戻ってきた時には、先輩たちに殴られたらしく顔がぼこぼこだった。みんな笑ってむかえた。

自転車で山越えして隣町に拓郎のレコードを買いに行ってた。

吉田拓郎

今では僕らの町のほうが都会っぽくなったけど、当時はこの手のレコードは隣町にしか無かったんだ。
隣町に高石友也とナターシャセブンが来て、触れるくらい近い前に座り込んで、初めての、
バンジョーのタンタカ音とスプーンのチャカチャカ音にしびれてしまった。

高校三年生の夏休みにデッサンの勉強の為に鹿児島の町に1週間いた時に、小室等のLP
「わたしは月には行かないだろう」を購入。
このLPの中の曲「比叡おろし」は文化祭で4人でグループを作り歌った3曲のうちのひとつ。
あとの2曲は五つの赤い風船の「遠い世界に」と、こうせつの「あわれジャクソン」ってやつ。

五つの赤い風船

ギターの弾ける級友とコーラスをお願いした女子ふたりでした。

18歳の時、某所にロックキャンディースのちんぺいちゃんの新グループ、アリスを聴きに行く。
まだちゃんと髪の毛があってかっこよかったんです。今みたいにビッグになるなんてね。
「明日への讃歌」は名曲です。今でもカラオケで歌ってるし、一番ギター鳴らしたと思う。

アリス

熊本の郵便貯金会館に五つの赤い風船がやってきました。その頃にギターを始めたかな。
ちょっと弾けるようになると、すぐオリジナル曲を作ったけど、
簡単なコードの繰り返しに、漢字の多い歌詞だったな。
人間として生まれて来、動物として死んでいく、知っているのさ明日の日は絶望の中にあることを。
傷つくことにも慣れた筈、忘れることにも慣れたはず、はかなく敗れたあの夢は今では遠い苦笑い。
って、暗あああああああ。

昔は阿蘇の野営ステージによくミュージシャンが来てました。
阿蘇の喫茶店でカレー食べてたら後ろのテーブルに加川良が来てました。
ステージに上がると、客席から俺達を扇動してくれよおおおお!とやられてましたが、
その頃の若者って何を扇動して貰いたかったんでしょうかね。

加川良

加川良といえば、アメ横で畠山みどりに会いました。なぜ畠山みどりかというと、加川良の教訓Ⅰを
カバーした事があって、世間をびっくりさせました。ほんのひとつまみの世間ですけど。
そういえば、カントリーゴールドの屋台で、なぎらけんいちにぶつかったな。
それに昔住んでたアパートの隣のSさんの部屋に友部正人が遊びに来てました。
友部の歌詞はストレートに心に入ってきます。

足をひとつ踏み出すごとに影はうしろに伸びてゆきます。~しんせいひと箱分の一日を指でひねって
ごみ箱の中。・・・(一本道より)
もつれた足を夜汽車にまたがせて、一晩眠ればもう長崎。~
風に髪の毛、結わえ付けて、丘の上にぶらさがってる。(長崎慕情より)

友部正人

初めてSさんの部屋でSさんのオリジナル曲を聴かせてもらっているうち、ふと途中から
僕もくちずさんでいた。
君。不思議な人だね。これ僕のオリジナル曲だよと言われた。
加山雄三の映画でこんな場面あったっけ。

もう3年も前のことかな。宇土の喫茶ポケットのコンサートでSさんに会いにいって、
どこかのご夫婦がウクレレで歌われたのですが、妙に気になって、何という曲ですかと訊ねると
クール長崎とハイビスカスのホノルル慕情という曲ですと答えられました。変な名前って、つい笑ってしまいました。
その後、あちこちのCDショップを訊ねたんだけど、かならずカウンターで笑われた。
結局、手に入れることはできなんだ。

ウクレレを買ってしまいました。

ギター

ちなみに隣のMorrisは、件の後輩からいただきました。ちょっといじってます。


劇画生活時代

小さい頃近所に一つ年上の、しのぶ君という人がいました。初めて従兄と遊びに行ったとき、
机の上に漫画の原稿があり、ペンに墨汁をつけ、カリカリ描いていたんだ。

毎日遊びにいって、すっかり仲良くなって、教えてもらいました。

小学校高学年の頃には、ノートにSF物を描いてクラスの連中にみせていたんです。

実は高校に入ってからも、親に隠れて続けていて、作画グループのグラコン関西支部に
席を置いてたんだけど、当時、会員の中に聖悠紀さんがいて、すでに超人ロックを
描いてたんだ。しかもなんと、現在も描いてるんだ。

40年以上経ってるよね。すごいよね!


超人ロック


みなもと太郎さんとかも会員にいたよ。

あちこちの貸本屋さんに入りびたりで、特に園田光慶のアイアンマッスルにはまり、
Gペンと,かぶらペンとホワイトを使って模倣しまくっていた。

永島慎二にも深く入り込んでしまった。
僕の少年期に影響を与えた作品集でした。


フーテン


田舎の本屋でね、それでも僕のためだけにガロとCOMを置いてくれてたんだ。

僕と天皇陛下の誕生日

前日の我が家のハプニングイベント。
「お父さんのマシンガントークのせいで、彼がまだ何もしゃべっていないじゃないの」との
娘のお叱りでふと、我にかえる。
そうだ、もう彼が緊張しまくって我が家に来てから4時間半が過ぎていたんだ。
奥さんがテレビを消す。
こらこら緊張させんなって。
彼がこたつから足をぬいて正座した。

こういう時って親として何と言ったらいいんだろ。

ボエムって何ですかって最近聞かれます。ポエムなら知ってるけどって。

人は何の為に生まれ、何の為に生きていくんでしょうか?
いつの頃からの疑問でしょうか。
突然こんな高校生みたいな言葉って恥かしいけど、けどね、

人は人を生むために生まれ、人を育てるために生きます。

生まれ 愛し 育て つなげる。

ただそれだけ。簡単です。何十億年も前から繰り返してきたことです。
人類が滅亡するまで続きます。
命をつなげる為には自らの命をもかけます。
そんな風に考えています。
でも僕はいまだに、つなげていませんから申し訳ないです。

だからこそ人は自由に生きたいのかも。
神にも国にも組織にも法律にも生まれた村にも戦争にも宗教にもそして
自分のDNAにも束縛されずに。
自分の物語を大事に自分でつくっていくと。

そういう意味です。

阿蘇に向う娘達に車を貸し、僕らは鳥栖のアウトレットモールへ。
Desigualへ一直線。着たいなあ。でも街歩けないかな。いつもこれ。
KIEE BIATTで両手でコーヒーカップを包みこんで、寒いね。今日って特に。

夕方娘に預けた車を取りに高速使い、熊本空港へ。
阿蘇方面に降りる出口が団子みたいに車が渋滞してて、あと5分で出入口ゲートも開かなくなりそう。
何これ?何が起きてるの?
きっと、S社のイルミネーションよと奥さん。どうにかしなきゃ時間に間に合わないよおお。頭ぐるぐる回転。
あの道しかない。ひらめきと同時に、熊本方面へハンドルを切り、益城から木山へ。
空港線のS社の丁度前に出る。祈る気持ちでみるとS社の前に渋滞は無かった。

阿蘇は真っ白な霧でおおわれていたとの娘の話。
今度は天気の良い日に来てね。あちこち案内するからねと彼に再会を告げる。

帰りの道はゆっくりとS社のイルミネーションを眺める。
みんなが並ぶのもわかるなあ。青い光が幻想的でうつくしいし、寒さに映える。
さっきのふたりを思い出しながら

僕と天皇陛下の誕生日が終わりました。


忘年会とヤフオク

 一昨日は七人で下通りのわくわく市場というところで忘年会でした。

えっ、ここで?って思いましたが、これがなかなか感じ良かったです。魚旨いです。

その後スナックに寄ると、三人初老の方がいらっしゃいました。
 なんとなく4人でカラオケ合戦が始まり、だんだん古い歌を選曲合戦です。
RCサクセションの「僕の好きな先生」を最後にぶち込み、懐かしいなの呟きを最後に
僕の勝利に終わりました。

外に煙草を買いに出られたひとりの方が僕にハンバーガーを買ってきてくれました。
ありがとうございます。ママさんに、あの人達おいくつ位かなとそっと訊ねると
そっと答えました。あなたと同じよ。・・・ショック!

 昨夜は後輩と二人きりの忘年会でした。保田窪の炭火蔵というお店です。

もつ鍋コースでしたが、全ての料理が美味しく満足でした。
清算時に大きなホッカイロをくれました。しかもすでに、暖かくしてあります。
寒い夜です。それだけの事ですがとても暖かい気持ちになりました。また来ようかなって。

隣のシダックスへ。後輩は昔はドへただった憂歌団のブルースを良い感じで歌ってくれました。
まわりの同年代の連中がみんな老けていきます。


 今夜は上通りのたぶの木という店で友人と忘年会です。

今夜も遅くなるのでしょうね。
いいのかな。明日は娘が大事な人を連れて来るっていうのに、毎晩呑んだくれて。
部屋の掃除くらいしときゃなくっちゃね。

 いろんな趣味をやってきたけど、最近よく人から、これ売ればいいのに、って言われます。

でもいくらで売っていいのか全く解らないんです
ほとんど工賃なんです。工賃に値段をつけたら、実はとても高くなるんです。
で、その金額と作品を比べてみると笑っちゃうんです。そんなにゃしないよって。

 とても緻密な絵の陶器を造られる人が申し訳なさそうに言いました。

値段が高いでしょ。でも仕方ないんです。
時間が掛かったんです。これでないと生活できないんです。
これ、よくわかります。
僕はあなたの時間を買うんですって言いました。



博多駅のバッグ屋さんでコードバンの財布が爪で傷だらけにされていました。

もうこの財布を買う人はいないでしょう。
たぶん店員さんは棚の中から綺麗な商品を渡すんでしょうね。
この傷ついた財布はどうなるんでしょうか?作られた人はどう思うんでしょうか?

 台湾で布バッグを作っていたオーナーのおばちゃんは、商品を並べる為に必ずひとつ
お客さんの手で駄目になる商品を準備しなきゃいけないのがつらいと、話をしてくれました。

僕は自分の作品を傷だらけにさせたくないし、サンプルとしての作品は作れないかな。

後輩がヤフオクの常連で色々教えてくれましたが、
結局、自分の作品だけは出せないなあ。

ボスのトートバッグ

太田カバン2


最初からボスにあげる為に作ったもので、さあて気合を入れてつくるかと。
ただB4サイズが希望だったんだけど、手持ちの革で作るので材料に余裕が無い。
そこでそれぞれのパーツは似たような革を集めることになりました。
倉敷の美術館に行く途中で立ち寄った、広島の東急ハンズで一袋千円の黒い革を5袋くらい買っていたのが役に立ちました。
まず悩んだのが取っ手を付ける位置だった。横のラインが長すぎるのだ。
ほんとはベルトを肩に掛けてもらってバッグに垂直に付くポイントに留めると
バッグがふたつに折れる事はないのだが、横が長い為バランスが悪い。
そこで、角カンに付ける部分をおもいっきり余裕をもたせて、ベルトが斜めになっても
バッグが折れない様にした。
健軍のサンカクヤさんでパリパリした感触の裏地購入。
革に裏地を貼り付けると、底の折れた部分でひずみが出るので、裏地で袋を作り、
外の革を縫込み成型した後に、内袋を入れ込む事も考えたが、内側にファスナー付きの
大型ポケットを付けているため、ちょっと無理。
結局折り込みながら端をボンドで止め、外の革と共に縫って止めた。ただ
内側から見たとき見苦しいので、悩んだ末、ハンズマンの包装用の黒のリボンテープを
縫い目に貼り付けた。
蓋の部分は通常邪魔なので、オープンファスナーにして、はずした時には中のポケット
ファスナーにかぶらないようにカット。

太田カバン3

太田カバン4


ベルトには内張りに使った引張強度の強い布を入れ込み、肩にかける事を考え
柔らかく仕上げた。
ファスナーのつまみにファルコンアイを使用。
最後にネームタグを付け、裏に電気ペンで名前を記入して完成。
などと、実はかなりの部分にオリジナリティが詰まってる。
いやーっ!実に勉強になった。やって良かった。

今日ボスがトートバッグを持ってきてくれました。
理由はこのブログにアップする為と、4ヶ月使用した間の補修部分の手直しです。
補修部分は特に見当たらなかったけど、ベルトをもっと厚みをもたせて、あと
2センチ長くしてとの事でした。
しばし時間をください。

ピア・デゲルマルクと誕生日

故郷の町に一軒だけ映画館があって、たしか22時頃には黙って(?)入れて朝まで過ごせたんです。

高校時代にロミオ&ジュリエットがやってきて、すぐ観に行ったんだけど、観てびっくり!
主演が中年近くのお二人さんで、あれー!! オリビアじゃない。

ロミオとジュリエット

つくづく自分が田舎に住んでいるんだと実感してしまった。

隣の町は大きな町で、映画館も2軒並んでて、学校さぼって友人と日活ロマンポルノを観に行ったら、
あとから後ろの席に確か化学の先生だったと思うんだけど、あきらかに高校OBの方と座ったらしく、
前の席で二人で肩をすぼめて、襟を立てて固まっていたんだ。

たしかこの映画館って初恋とか歌ってた村下孝蔵の家だったと思うんだけど。

この頃はジョアンナ・シムカスやオッタビオ・ピッコロそれに、レイモンド・ラヴロックなんかの美形好きで、
特にピア・デゲルマルクが大好きで、この後の僕の人生に大きく影響した。

つまり、女性をみる基準がこの人になってしまったんだ。

この女優さんはもともと、いわゆる深窓のお嬢様で、王子様とのダンスの写真でスカウトされ、これまた
公爵様かなんかと結婚して、映画界を引退したんだ。

当然、死ぬまで幸せに暮らしたとさ。・・・・・と、思ってたんだけど。

2年程前きまぐれに、ネットで検索してしまったんだ。・・・とてもショックで落ち込んでしまった。

ここに書くのもつらい。

ピアアルバム


ちなみに僕の奥さんは若い頃、ピアに似てました。気のせいかもしれないけど。

15日は奥さんの誕生日でした。
朝ごはん食べながらじっくり奥さんの顔をながめ、老けたねと言いました。
言葉を間違いました。決して悪口ではないんです。
18歳の時の顔を一瞬思い出したんです。
奥さんと顔を眺め合って、ほんとに長いよねって笑い合いました。

最初に僕を見たとき、僕は何をしてたのと聞くと、絵を描いてたよとの事です。
僕が最初に奥さんを見たのは、美術部に入りたいとやって来た女の子についてきて、部室のドアのところに
ちらちら見え隠れしてました。それからひとつきも経たないうちに
映画館の中で、二人で奥さんが作ってきたサンドウィッチを食べていました。

今回の誕生祝いは、奥さんのおすすめで、下通の猪毛尾さんちの金寿司に行って来ました。
ランチは回転寿司並みの値段で、美味しいお寿司を頂きました。
恥ずかしくて写真を撮れなかったのが残念です。

ライヨールナイフ

ナイフが好きですね。危険な奴と思われがちだから、あまり他人には言いません。
なぜだか知らないけど惹かれますね。刃物店から鋼材を買ってきてドリルで
型抜きして、毎晩やすりでシャリシャリやってました。
ハンドル材はウッドマイカルタを手になじむまで削り、指の食い込み部分を
しっくりくるまで掘り込みます。楽しいひとときです。
旅行に行くたびにナイフを購入します。
特にライヨールナイフに惹かれます。細身で女性的で、その曲線とするどい光に。

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パリのデパートにも食器売場附近にナイフが置いてありますが、すべてライヨールもどきです。
もどきとは、LAGUIOREの文字にナイフの半開きのマークをかぶせたもの以外です。
と言っても、どれもライヨール地方の大手の工場で作られたものですから、もどきと
いったら間違いかも知れませんが。
海外では有名なのに本国ではなかなか手に入らないものってありますよね。
パリでカラーの南部鉄瓶をみました。安いなと思ったら全て中国製でした。
こんなに人気があって、中国からニセモノ(?)がいっぱい入って来てるのに
なぜ、日本で売らないんでしょう。売ってるのかな?
ライヨールナイフに関してはパリで見つけることは出来ませんでした。
モンサンミッシェルの通りの店でそれらしいのを見つけ、大急ぎで3本買いましたが、
僕が求めるものではありませんでした。
しかしついに、昨年冬にベルギーの街で見つけました。ショーウインドウの中のナイフを
本物と確認して店の中に入りました。店主は僕のライヨール好きを解ってくれたみたいです。
というか、店主もかなりのライヨール好きでした。店の奥からカタログを持って来て
オリジナルオリジナルと言いながら店中のライヨールを見せてくれました。
とりわけ店主がニヤニヤしながら、タサーキと叫んで出してくれたのが、これです。
僕も一緒におおおおおおっと叫んでしまいました。

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田崎真也のソムリエナイフです。
ソムリエチャンピオンを記念して作られたタサキモデルです。
田崎というかた苦しい漢字が、この街には不釣合いです。
という事で、日本に持って帰る事にしました。



お箸いれと時計バンド

いつも使っている箸の握りの部分が、もともとビニール系の何かで巻いていたんだけど
はずれてしまったんで、薄い革で巻いてみました。
ついでに、こいつを入れる袋も作ってみました。
いい感じに出来上がったんで、手持ちのライヨールナイフも入れてみました。

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冬場になって黒い上着を着る事が増えてきました。
そこで、それまでの茶色い時計バンドを止めて
黒い革で作ってみました。厚みのある革で芯通しの黒が手に入らなかったので、
床面を染料で染め、黒いへびで飾りました。

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カントリーゴールドと、しんべえさん

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1996年10月20日初めてカントリーゴールドに遊びに行きました。

お客様数が推定2万人といわれ、確かにそのくらいはいた様な気がします。

カントリーグッズの屋台も軒を並べ、県外の人だけでなく、アメリカの方も
たくさんおいででした。あちこちで焼肉の煙があがり、ビール片手のかっこいい
じいちゃんや、インディアン娘たちが横一列になったり、輪になったりして、
カントリーダンスを踊っていました。

僕の知らない戦後のアメリカ文化を垣間見た気がしました。

あれから16年経ってしまいました。カントリーダンスはステージ下の舞台だけになり、
焼肉はずっと後ろの方でと規制され、ホルスターにガンをぶらさげてた若者は
アメリカ人にとっては恐怖を感じるという理由で禁止されました。

あちこちの屋台で焼いていた肉の塊は、わずか一箇所の屋台だけになり、長く
並ばなきゃいけなくなりました。

東京からやって来ていたグッズ屋さんの屋台ももうありません。
パトカーは飲酒運転の取り締まりか、出口附近をうろうろしてます。

でも、このぐらいが良いのかなとも思います。
帰りの車の都合上16時には会場を離れなければいけなかったのですが、
アメリカのアーティストは16時からの出演でしたので、
同行者から何しに来たのと言われてしまいました。

でも良いんです。コンサートを聴きにきたつもりはないんですから。

秋の真っ青な空の下で草の上に寝そべり、したたか酔ってBGMに包まれる一日を
今年も迎えられた事に感謝です。

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この世界でしんべえさんと仲良くなりました。

しんべえさんは神戸でカントリーダンスを教えていらっしゃいます。
お弟子さん達と一緒にこられます。

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しんべえさんにはお会いする度にハグをしてましたが、
ご主人が僕と同い年とわかってからハグしずらくなりました。

今年はハットバンドを作って出かけましたが、しんべえさんには会えませんでした。
知人からご主人のご不幸を知りました。お元気で頑張っていらっしゃるでしょうか。


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追記:インディアン娘には、お会いできました。

ハットバンド

カントリーゴールドの前夜にハットバンドを作りました。
黒い革を巻きつけ手持ちのスタッズやコンチョで
飾りつけをしました。
微妙な派手さがいいです。自画自賛ばかりしてますよね。

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コンチョ付きロングウォレット

そろそろ阿蘇のカントリーゴールドが近づいてきたんで、財布を
作ろうかと。やっぱりロングウォレットになりました。
大好きな真っ白のちょっと柔らかい革で作り、マッドモンキーさんから買った
ターコイズのコンチョを付けたら妙に女っぽくなってしまいました。

やっぱり汚れが目立つだろうし、ジーンズには合わないかな。
使用感たっぷりの白はいやだなということで、却下。
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次に白くて、厚い革で作ってみました。
ケネディコインコンチョが違和感無くフィットしてます。
でも、草原に座りこむからジーンズの尻ポケットにはきついなあ。
バッグに入れるには良いんだけど。
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ヌメ革で作ってみました。
今度は少し厚みを抑えました。コンチョはマッドモンキーさんです。
ジーンズの尻ポケットに入れてみて、うん、大丈夫。これでOKです。
全体にオイルをしみ込ませました。
ロープを一気に編みこみました。途中で休むとわかんなくなっちゃうんです。

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追記:カントリーゴールドで一日ポケットに入れてたら、ポケットの横ラインと
   草や土の汚れがついてしまいました。
   でも次の日、消しゴムで跡形も無く消してしまいました。

ミニ財布とラウンドファスナー

作ったなあ。いくつ作ったんだろ。20個は作ったかな。
しかも実際僕が普通使いにしてるのがこれなんだ。
これでもカードが5枚と紙幣が10枚と百円玉が15枚入るんだ。
緑のへび革をサンカクヤさんで見つけ、表革にしたやつを
使ってるけど、雰囲気いいよ。
ヴィトンは会社の女子から貰ったバッグをざくざく鋏で切って
使いました。もちろん本人にもあげました。
ヴィトンは極細の繊維を編みこんだゴムの様な素材でした。
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こいつは超難しい。イオンで千円くらいのやつを買って分解して型紙を作成。
型紙があるのに難しいなんて初めてだった。2度やりなおして、
革がべろんべろんになってしまった。
ファスナーがきれいに決まらない。
絶対に一発でうまくできるまで、やってやるぞ!ってね。

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でもこれって小さいバッグみたいで、何でも入って便利だよね。

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ヌメのロングウォレットとミドルウォレット

さて初めてのヌメ革のロングウォレットです。
カード部分の厚みが少し気になり、合わせ部分は時間を掛けて漉きました。
横から覗いて一枚の革に見えるようにし、丁寧にコバも磨きました。
ちょっとごつい感じになりましたが、手に持った時にしっくり馴染みます。
NEATSFOOT OILを満遍なく塗って日光浴をさせました。
夏場に1週間繰り返し、よく日焼けしました。いい感じです。

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こいつは月刊誌の型紙で作ったけど、作ってる最中にも、これは何?って感じで。
作り終わってからもこれで正解なのって、とても使いづらそうで、即、お蔵入り。

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子供達のケネディコインとエナメルバック

子供たちの誕生年のケネディコインコンチョを手に入れポーチを
作りました。
コンチョを付ける位置を考えてもらって作りました。
個性それぞれですね。
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バッグを作るなら絶対バッグ屋さんに売ってないもの、こんなもん誰も買わない、
そんなもんでないとレザークラフトをやってる意味がないって思ってました。
広島の東急ハンズでこの緑のエナメル革に出会いました。
なぜかエナメルが大好きなんです。特に赤やピンクのエナメルにはどきどきもんです。
この革を生かすのはバッグしかない、しかもビジネスバッグがいい、
誰も絶対持ちたがらない。
今思えばもっと別の生かし方があったのになと、思う今日この頃です。
僕が持ちたくなくなったんだ。

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筆入れと小物入れ

小物作りの本を購入しました。手始めに筆入れを作ってみました。
ファスナーがポイントです。なかなか真直ぐにならない。だらしなく曲がってしまう。
この作品作りの後、ショップに行ってファスナーを使った商品を見ると、必ず
ジーッと見入ってしまう癖がついてしまった。

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或る日突然、たくさん作れてみんなにあげて喜ばれるものが作りたいと思ってしまった。
で、たくさん作ってみんなにあげました。
でもほんとは、ちゃんと、なにを入れるか決めて、サイズもきちんと測るべきでした。
すべて、ファスナーのサイズにあわせて作ってしまったんです。
それに覘いた店店でファスナーを買ってしまったから、我が家は色んなサイズやカラーの
ファスナーでいっぱいです。

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ブルーのコンチョは天文館のマキノ店で購入。

とんぼ玉は宮之城のさつまガラス工房で集めました。

時計バンドとパスカード

ディアスキンの感触が好きで時計バンドに使いました。
息子に頼まれパスカードも。
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ちょっと手頃な大きさの、革を触って丸めてとかしているうちに、
あれ、これ書類入れにちょうどいいという事で、一切カット無しに縫込みました。
簡単でした。

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キーケースとネイティブアメリカン

鍵って結局最低でも三つか四つになってかさばるし、袋の中に放り込みたいと思い
作ってみました。
ホテルのフロントに預けたら、これ鍵ですかと聞かれました。
小銭入れと思ったみたいです。
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ネイティブアメリカンの制作に2週間かかりました。
エルクスキンを注文して、割と伸びる革だなと。
中に物を入れるとバッグが変形してしまうので、しかたなくフェルトで内張りをしました。
ベルトの中にも丈夫で伸びないジーンズを縫いこみました。
本当はベルトは結ぶんだろうけど、結び目が肩に当たって痛いだろうと、
肩当を付けてみました。
完成させて、しばらくすると、注文先のホームページでこの革の表記がエルクスキンから
ディアスキンに変わっていました。なんだこりゃ。

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トレイとカード入れ

親戚んちが開院する事になって急遽、トレイを作る事になりました。
革を固めるのにカタメール(誰がつけたんや)という液体を付けるんだけど、
完成品に付けたらシミが出てきてしまいました。意外とこれはこれで苦労しました。

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カード入れを作ってみました。財布のカード入れだと足りないし、どっかにまとめる
為にも必要かなと。中身はフランフランで購入しました。

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中はこんな感じです。

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ペンケースとトートバッグ

小さい時からセルロイドのペンが好きで、今でも文具屋さんに行くとガラスケースをのぞきます。
でも、筆箱とかいうのはいやで、こんな柔らかい袋があればいいなと思って、革を触っているうちに
自然に形ができました。紐が長すぎると言われるけど、こんな巻物風なのが良いのだ。

ちなみにこれはレザークラフトを始めて一月目の作品です。良くできました。感心感心。


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しばらく経つと少し大きな物が作りたくなって、誰でも作れるトートバッグなる物に挑戦しました。

ひたすらひたすら縫い続けます。バケツみたいなやつができました。娘にあげました。

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ブログスタート

さて、何の話から始めようかな。
今日からブログを始めようとするこの日になんてこったい!!
東京の娘からめずらしく電話があって何が欲しいのかなと思ったら
お父さんに会って欲しい人がいるから近いうちに帰るって!
なんで今日なの?そんなベタなセリフ、君の口から聞けるなんて。
何を書こうかぶっとんでしまった。


落ち着いて、、、まずはレザークラフトの話から・・・
3年程前、大事なバッグのマグネットホックがはずれて外革と内張りの布の
間に落ちてしまったんだ。

で、プロのかばん屋さんに持っていくと、これはここをはずして、それからここも
はずさないといけないから、結局全部ばらさないといけないなと私は絶対やりたくない
満々のアッピール。そこでマグネットはどこで売ってますかと聞くと、
どこでも売ってるよとの事。確かにどこでも売ってました。
糸をはずして取付けて縫いこんでと。なんだ僕にもできるじゃん。
それから広島の三越に堂島ロールを買いに行ったついでに、東急ハンズでレザークラフトの
コーナーを見つけ、あっ、革売ってる、意外と安ー。それがきっかけです。

で、参考書を買ってきて早速、本のカバー作り。おお!うまくできたぞ。俺ってすごい!!
で、文庫本を入れてみたらはまらないんです。型紙通りに作ったのに。
これが後々すごい勉強になりました。絶対自分で型紙作るぞ!!

で、次に作ったのが定番の小銭入れ。

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これでも漉きをかけたり、菱目穴の位置とか大変でした。
ほかにも色々作ってしまいました。
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Author:ボエム
灰色の鶴の舞立つ漁村生まれ。
終の棲家探しへ。

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