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マチュピチュにて。


遺跡の中に入って行きます。


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マチュピチュは標高2,430mの15世紀のインカ帝国の遺跡です。


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インカ帝国は、スペインにより滅亡しましたが

アンデス文明は文字を持たない為、この遺跡が何の為に作られたのか、

その理由は明確には分っていないそうです。


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つまり僕は、ここはスペイン軍から逃れて作った村と勝手に思い込んでいましたが

違ったようです。

2007年に「新・世界七不思議」の一つに選ばれました。


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この遺跡を発見した探検家が、地元の村人に遺跡の名前を尋ねると

村人は山の名前を聞かれたと勘違いしてマチュピチュと答えたいう

説があるそうです。


村人がこの遺跡を知ってたなら、この探検家は発見したことには

ならないと思うんだけど・・

世界に発表したら発見した事になるのかな?


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それに、この探検家の発表や仮設が、その後の研究の

妨げになったらしいのです。

最近になって、この探検家より早くペルー人が発見していたというのが

分ったみたいです。


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現在では、マチュピチュは要塞でも村でも無く

インカ人達が崇めていた太陽を観測する

天文台だったというのが主流の考えみたいです。


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インカ帝国は太陽を崇拝し、皇帝は太陽神の子供として崇められ

太陽歴を作っていました。


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ここから出土された棺桶に入っていたのは王族ではなく、

遠方からやって来た石職人達だと考えられ、殆どが50歳以上の年寄りで

骨の分析では病気による死亡と推定されるそうです。


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つまり、ここでは戦争は起きていないのです。


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石垣を隙間無く重ねる方法は、先ず、大きな岩を割り、

次に小型の石で叩いて、表面を平坦にしていく方法だと思われています。


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ただし、マチュピチュには数トンの巨石を運び上げるような傾斜路が無い為

未だに、どうやって運んで来たのかは不明だそうです。


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この都市はインカ帝国の王族や貴族達の為の

避暑地だったり別荘だったりしたそうです。


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その王族達の生活を支える為の住民が、最大で約750名、

王族が不在の時は、ほんの一握りの人達が住んでいたと思われます。


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スペイン軍に制服されるまでの約80年間

この都市では、平和で静かな太陽神との生活が行われていました。


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何故この地だったのか。

それは高地で、回りを切り立った崖に囲まれ、

そして、太陽に近い場所だったからだと考えられています。


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これは、コンドルを表した石組みです。


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段々畑が見えます。


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でも、すべてが推測です。


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全てが推測ですが、それでもこの巨石群をどうやって運び入れたのかは

推測さえ出来ていないのです。


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段々畑を通って帰ります。


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またお会いしましたね。

ずっと一緒にいたんですね。


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実はこの遺跡の中で、僕ら二人は二度も迷子になってしまいました。

完全にツアーの皆さんとはぐれてしまい、ずっと探し出す事が出来ませんでした。

そしてバッタリ遭遇して・・

何事も無かったように後ろに付きました。


迷路です。気を付けましょう。


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想定外に広い遺跡でした。

雲の中に佇む、天空の都市でした。



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入り口まで降りて、昼食です。


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ボエム

Author:ボエム
灰色の鶴の舞立つ漁村生まれ。
終の棲家探しへ。

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